タイランド

   【日記】

夢を追いかけるか現実を見据えるかで生きる事の全ての選択肢は変わってくる。それでも夢を追いかけるならそりゃもうリスキーだ。

何も知らないくせに君を愛してるとはよく言えたもんだ、無知とは恐ろしいけど逆を返せば無知ほど幸せなことも無い

友人とこんな事を話した。「ありのままの自分と理想の自分にバランス良く付き合える状態がベスト」だと。

その日友人は宮本輝の愉楽の園を買った。ワカコイズムを知りたいと(!)そんなのダークサイドに堕ちるだけだからやめた方がいい。

金曜日はやっぱり眠れない

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ノンパン

ベトナム航空で衝撃的な思い出は初めて”飛行機”で痴漢というものをされた事だった。

その後山手線五反田~目黒間で痴漢をされた示談金でGWにベトナムへの旅行を決行した訳だから聊かそういうものに縁があるのかもしれない。

旅で何かを得たかというと毎回そうではない気がする。寧ろ何かを捨てる事ができると言ったほうがしっくりとくる。

もしかしたら日本人の集団が好きじゃないのかもしれないし、或いは異国の地で”なりたい自分”が表現できるのが心地いいのかもしれない。これは取り立てて日本社会が悪いと一方的に糾弾できるわけではなく、自身が人の目を気にしすぎている事に原因があるのかもしれない。

”好きな人といる時は、

自分の事も好きになる”

誰かが言っていた言葉をふと思い出したと同時にそれは誰かから言われた言葉でもあった。

個人的に他人の恋愛観をうんぬん言う訳ではないが。

”もうお帰りになるんですか?”とカフェの店員が聞く。

ええ、今から日本に帰りますと告げると、ああ惜しい、ずっと君の事を見ていました、できればお茶をしようかと誘おうと思っていた、と残念そうに言われた。

日本人であることも理由だがカンボジアでは相当に気に入られる事が多い。

ベトナムでもそうだったのかもしれない。滞在中に2回ほど知り合った男性にI LOVE YOUと告げられた。

”そんな1日で知った女に好きだなんて、私の価値も下がったもんだ”

ホイアンはやっぱり好きな街だが、ダナンは今回で嫌いになった。


(お前は他人を勘違いさせる”くせ”があると友人や先輩に言われた事がある、だから今まで何人も傷つけたかもしれないし、私に返ってきたのは今まで自分が他人にしたことへのカルマなのかもしれない。)

人は確証の持てない不安がある時には実体のない事にすがるものだ、だから過酷な状況だったり、ライフラインとしての豊作を祈るために古来から宗教が発展されてきた。

様々な歴史を経てそれは多種多様に変わった。特に現代の日本人には馴染みが薄いが本来の形は人々の不安からの払拭でもある。

「宗教上の不幸は、一つには現実の不幸の表現であり、一つには現実の不幸にたいする抗議である。宗教は、なやめるもののため息であり、心なき世界の心情であるとともに精神なき状態の精神である。それは民衆のアヘンである」

(ヘーゲル法哲学批判・序説)

そんな自分にリンクしたのは意外にも大学時代に少し学んだマルクス主義の思想だった。当時チベット・中国問題を扱うにあたって毛沢東の文化大革命を理解する必要があった。

 
わたしの中の東南アジアは何か憧れだとか”神格化”されたものだったのかもしれないが、ある程度の滞在で日常化された今は知る由もない。

そのような事を考えてふと可笑しくなってしまった。

”アヘン”になってしまった恋愛は当面は懲り懲りだけど。



シェムリアップで会った特徴的なお兄さんにハッパの話を聞く。

”そういうの、使うのはいいけど、一緒にやる人は選んでね”

”ええ、むしろお兄さんかおじさんに盛られて、効いてきちゃったね、今から気持ちよくなろうねって言われたほうがいいと思うんですが。”
やってみたいと思ったら最後だからこれが帰国予定日でよかった。

久々だった

妹曰く

「摂食障害の本を大学で使うから読んだ、あなたが当時どんな気持ちだったのかわかった気がする」


「精神的に病むのは弱いというよりは出口が開いた鳥籠から出ようとしないだけの人が大半だよ」

「そこから出れる人はそもそも病んだりしないでしょう?」

去年の今頃は仕事で精神的に病み始めた頃だったと思う
一年前と比べて自分は変われただろうか
何も変わらずピーピー泣いてる訳では無いし


いつだって人の目を見て話すのは苦手だ

どうしてか考えた事があるけど全てが後ろめたかったからかもしれない

ひんやりした夏の終わりを覚えてる

小さい部屋に籠ってわたしは妙な世界を広げた

記憶の構造はなかなか難しくて、気持ち悪いようなむずがゆいような感覚になる

川崎に戻って、ふと辛かった時期に使ってみたお香の匂いがした気がした
自分は変われただろうか、わたしはいつまでたっても自分勝手だ

また日曜が終わった。

南緯35度

〈日記〉退勤時刻が黄昏時となった電車に揺られてふと思い出した。「ああ、ストッキングを買っていないな」

前倒しの五月病は苟且の症状だと信じて私は京急線の改札を抜け街を歩く。

些か寂しげな表情を観せる川崎市街はいつの間にか夢を抱く場所から単なる住居地に変わっていたのかもしれない。某作家ではないが”ぼんやりとした不安”が夕焼けから日没への如く襲う。

早く緯度を下げた方がいい。カシス色に染める筈の爪は無気力の賜物宜しく肌色のままであった。

肉片

広島にて、

ミストサウナに入った話

「旅っていうのは、不快な思いこそ記憶に残るものです。」

貸切になった深夜0時のミストサウナで横になった

水蒸気は無限に玉を作って肌を滑り落ち

息苦しい天井を向いた麻痺状態の脳は、シェムリアップの熱帯夜を描いた

“ここは東南アジアの空気と同じだ”

“There are no facts, only interpretations”

肉片でしかない。記憶の構造の話

「この瞬間だって嘘かもしれないよ」


涅槃に立つ事を決めて何年経ったの?


ピンヒールの踏跡

Jamiroquaiを流したイヤホン

港南口(東口)

他人があなたは素晴らしいって言うんだからきっとそうなんでしょうが、言われた側にとって素晴らしいと感じられる人自体に価値がある事を忘れてはいけない

涅槃に発ちたい

「折角母に色々打ち明けたってのにすべて否定から結論を出されてやっぱり川崎に帰りたいと思いました」

いちばん身近な人に否定される事から人の愛とは何かを考えました

Ys


真夜中に聴くドビュッシーとエリックサティどちらが好きですか

考えて落とし所を見つけた訳ですから

「先見の明をもって…窪みを生じるように…ひどくまごついて…頭を開いて」

―Eric Satie

「いつまで服を着ないでいるの?」

髪が杏の匂いと水たばこの匂いが混ざってて

2017年には絶滅してるでしょうね


1997年の香港返還から50年

中国政府曰く”50年間は何も変わらない”と表明
50年も変わらずに存在するものなどあるだろうかと王家衛監督

赤道を越えた自分ももうとっくに存在はしてない

ここにわたしのイメージファイルを残しておこうと

いなくても組み込まれてるとは思うけど

“色々な世界を知るためにいくつかの国を回ったけど、

広い世界を知るために東南アジアの田舎に出向いて、それらに感動していたが

考え直してみれば、そこにいた人々こそ言わば狭い世界の中にあった。

広い世界を知るために、狭い世界で生きる人達に会っていた事に気付く”

それはかけがえのないことであるという事は大前提として。

調合